燃える闘魂ブログround 34 vs 青学 原監督
こんにちは新年あけても
雪をも融雪する熱い男=若林大輔、熱血大ちゃんです!
みなさま箱根駅伝みました?
青学大V!すごかったですねーーー。
驚異的なタイムで初の総合優勝を飾った青山学院大は、選手たちの楽しそうな笑顔が印象的でしたね。
楽しく一生懸命.そして結果もついてくる
なんか羨ましい。。。
私も仲間に入れてほしい
無理じゃ!!
さて
9区を走った主将の藤川拓也選手(広島・世羅高)は、
「みんなが自主性を持って明るく取り組むこのチームなら強くなれると思っていた」
とコメントしています。
この自主性を持って取り組む、というのは
全ての組織、チームプレイ、団体競技や会社などで共通する
成功の必須条件だと思うのです。
一言でいえば結果に対する責任感ですね
それを引っ張る人ってどんな人なのかな~?
と、こういう場合私は経営者として監督に興味がわきます。
さて
原晋(はらすすむ)監督(47)
かなり興味深い方ですね(この黒板の字を全部読めますか?)
ものすごい挫折を味わってきているのに
とにかく明るいんですよね
なんせ自分のことを
「元伝説の営業マン」
って言ったり
「青学はちゃらい」といわれることを、
「最高の褒め言葉です」と言ったり
「見えないところでは泥臭く努力しても、表舞台では華やかにしていたい」と
大会前の記者会見で発表したテーマは、見る人を驚かせ楽しませたい!!という思いを込めた作戦が
「ワクワク大作戦」
この監督面白い!!!
いいーーーーー!!
緊張やプレッシャーを遊びに変えて楽しんでいる。
人生楽しく、頑張ろう!
「ワクワク大作戦」でね!
この写真の監督もなんかおもろいんだよな(笑)
青学これから受験者数も増えそうですね
あなたも、楽しいダイショウの社員、パートナー、店長になりませんか?☆
監督の参考資料
2004年に監督に就任した頃、選手の生活は乱れていた。「急性アルコール中毒で選手が運ばれ、夜中に病院に呼ばれたこともある」。箱根駅伝への出場も1976年を最後に遠ざかっていた。
立て直しに役立ったのは、陸上を離れて仕事をした10年間のサラリーマン生活の経験という。「自分で言うのも何だけど、伝説の営業マンだった。箱根駅伝もビジネスも一緒です」
広島・世羅高で主将として全国高校駅伝で準優勝。中京大から中国電力に進み、1年目に故障して5年で選手生活を終えた。同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の営業所。「一番下に回されたお陰で仕事を覚えることができた」。企画、広報、営業と何でもこなした。社内公募に手をあげ、出向して5人で始めた子会社を3年間で100人規模に育てた。
駅伝強化に乗り出した青学大から嘱託職員として監督就任を打診された時、「中途半端では学生に見透かされる」と、退社して退路を断った。「あなたにできるわけがない」と妻にも反対されたが、母親の「日本一になりなさい」の言葉に奮起。大学の理事長には「10年で優勝争いします」と宣言。選手のやる気を引き出すことに腐心し、専用グラウンドもない中で始めた頂点への挑戦は11年目で結実した。
寮の壁には、選手のリポートが何重にも張られている。毎月の目標と反省を書いて重ねる。サラリーマン時代と同じ手法だ。